翻訳と辞書
Words near each other
・ 穆公 (衛)
・ 穆公 (鄭)
・ 穆公 (陳)
・ 穆公 (魯)
・ 穆図善
・ 穆天子伝
・ 穆天子伝奇
・ 穆子内親王
・ 穆宗
・ 穆宗 (唐)
穆宗 (明)
・ 穆宗 (遼)
・ 穆宗 (高麗王)
・ 穆寿
・ 穆崇
・ 穆帝
・ 穆帝 (東晋)
・ 穆弘
・ 穆彰阿
・ 穆提婆


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

穆宗 (明) : ミニ英和和英辞書
穆宗 (明)[みん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

穆宗 (明) ( リダイレクト:隆慶帝 ) : ウィキペディア日本語版
隆慶帝[りゅうけいてい]

隆慶帝(りゅうけいてい)は、朝の第13代皇帝(さいこう)(垕の字は后の下に土)。廟号穆宗(ぼくそう)。日本では在位中の元号から一般的に隆慶帝と称されている。
== 生涯 ==
嘉靖帝の第3子として生まれ、嘉靖18年(1539年)に裕王に封じられている。嘉靖帝の晩年、明朝は内政の乱れの他に、「南倭北虜」と称される倭寇タタールによる侵攻にさらされていた。即位した隆慶帝は嘉靖期の弊政を改革すべく、嘉靖帝への諫言により罪を得ていた徐階海瑞などの人材を登用し、それまで朝廷で権勢をふるっていた道士を一掃した。また疲弊する国庫を建て直すため、海外貿易を開放し、倭寇、タタールに対してある程度の貿易を認める柔軟策で、対外的にも安定した時代を現出した。
しかし隆慶帝自身は凡庸な皇帝であり、朝政を省みず、その政務は大学士に代行されていた。また酒色に溺れ、享楽を求めた生活のため、若くして崩御した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「隆慶帝」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Longqing Emperor 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.